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2019-03-28 16:27:54
入社前に見た不動産業界を扱ったドラマ。
その主人公のようなエリートを目指し、そこから多くを学んだ新人営業のお話







入社前、不動産業界を扱ったドラマを見ていた。主人公は、ちょっと変わった営業マンだったが、立ち居振る舞いがとてもカッコよく、契約を勝ち取る姿を見て“こんな世界に入るんだ”と意識を高めていた。

入社後、初契約に対する思いが希薄な同期が多い中、私は恵まれていた。初契約のお客様とはとてもいい人間関係が作り出せ、とてもいい時間と経験が得られた。

早々に初契約の実績を作り、それから一ヶ月も経たない頃に別のお客様からメールで物件の問い合わせが入り私が担当することになった。すぐさま電話でアポイントを取り、来店していただく約束も取り付けた。

順調なスタートを切った新社会人の私は“ドラマの主人公のようなエリート営業マンになる”という思いを強くしていった。



お客様の希望する物件だけでなく近隣の物件も見学できるように事前準備をしたが、来店されたお客様はピンポイントでその物件だけの説明を求め、私が用意した他の物件にはまったく興味を示さなかった。

お客様をご案内したのは築15年ほど経過した中古物件で、同じ条件の新築と比較すれば3割以上も販売価格が抑えられたものだった。内装も自分たちの好きなように変えられる中古物件をお客様は探し求めていたのだった。

「しばらくは自分たちで住んで、ゆくゆくは賃貸にしようと思ってます。」

駅から商店街を抜けて徒歩10分。近くにはコンビニやファミレスもある。将来的な活用法もお客様は考えていた。

新人とはいえ自分は不動産を扱うプロだ。そして、あのドラマの影響もあって、こんな意識が芽生えた。

“不動産のエリート営業マンになるんだ!”

そのためには、お客様の質問や要望にはテキパキと応じなくてはいけない。少しの間がお客様に不安を与えてしまうかもしれない。そう思った私は、土地や建物だけでなく公共サービスなど多岐に渡るお客様からの質問を無難に答えていった。

「ここは防火地域ですか?準防火地域ですか?」

その質問にも、私は即答した。

「防火地域です。」

その答えにお客様は、“えっ!?”と目を大きく見開いて驚きの表情を浮かべた。見学帰りの車中、アパート経営や投資目的で不動産を複数所有しているお客様は私よりはるかに不動産に詳しい方だった。それを知った時、時折やってしまった適当なあいづちや曖昧な回答がフラッシュバックで蘇ってきた。浅はかだった自分を省みて、本気で消えて無くなりたいと思った。



帰社後に調べてみるとその物件は準防火地域にあり、お客様が驚いた表情をした意味を知った。防火地域の建物は原則として鉄骨や鉄筋などの耐火建築物でなければならないにもかかわらず、見学したのは木造の中古物件だった。

一度失ったお客様からの信用は簡単に取り戻せるものではない。上席が同席した資金計画の打ち合わせで、お客様と私のズレた認識は関係を決定づけるものとなった。

数日後、契約の時を迎えた。転勤によって上席が異動となり、新たに別の上席が契約の場に同席することになった。売買価格や諸事項が記された契約書は事前に前の上席に確認を済ませており、つつがなく契約されるものと思っていた。が、そうではなかった。

「これじゃ、契約できません。あなた担当なんだから聞いてましたよね?」

私に向かって“どうなっているんだ!?”と強い視線で訴えるお客様。私はただ呆然とし、また、初めて挨拶した上席がその言葉の意味を知る由もなかった。お客様の認識していた売買金額よりも大きなものが売買契約書に記載されていた。資金計画の打ち合わせの際の認識のズレがここで現れた。私にも言い分はあったが、それを主張したところでお客様が契約書にサインするはずがないこともわかっていた。そして、押し黙る私に上席から指示があった。

「私に任せて、この場は・・・。」

私はその場から外れることになった。それ以前からお客様に不信感を抱かせてしまった私にも問題があった。以降は契約に同席した上席がお客様を担当することになり、私は深く反省する毎日を過ごすことになった。


戒めのメール


その後、担当を引き継いだ上席がトラブルを解決して契約までたどり着けたものの、私はそのお客様にご挨拶さえできなかった。

しばらくして上席に呼ばれデスクに向かうと、お客様からお礼のメールが届いたことを知った。

“ハウスプラザからとてもいい物件を購入することができました。お近くにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。本当にありがとうございました。”

本来ならば私が貰えていたはずのメールだ。しかし、私は何もできない営業マンだった。そう思うと悔しかった。

その場しのぎを止め、わからないことはわからないと正直に伝え、後からでも正しい報告ができる人にならなければいけないと自分の心に誓わせた戒めのメールだった。そして、もうひとつ心に誓った。

“もう二度とカッコつけない・・・”と。

2019-03-21 15:01:57
駐車場代がもったいない。
愛車のために駐車場付きの物件を選ぶと思いきや・・・。
新たな方向へ歩みを進めたお客様と営業のお話






「駐車場代がもったいないんですよ。」

電話の主のひと言目は、賃料の相談だった。1LDKの分譲マンションに住み、愛車のために月極め駐車場を借りているという。車を手放せば済む話と誰もが思うように私もそう思ったが、車好きに愛車を手放す選択肢はなかった。

「駐車場なら・・・、一戸建て物件をご覧になってみませんか?カースペース付きの物件もございますよ。」

別の選択肢に電話の主は応じ、来店までの間に見学する物件を絞り込んだ。



50歳くらいの男性がひとりでやってきたのは、電話を切ってから2時間ほど過ぎた頃だった。選び出した3棟の完成物件をお店で簡単に紹介し、1棟目の物件に向かった。

あらかじめ聞いていた条件は“駐車場付き”で“通勤に便利なJR線の駅近く”だけで、1棟目はその2つの条件だけを満たす物件だった。

「ご家族、何名でお住まいになるのでしょうか?」

多くのお客様があげる“広さ”や“間取り”が条件の中に含まれず、気になった私はやんわりと質問した。

「今は独り身なので。部屋数は気にしません。」

とはいえ、1棟目の狭小物件は10分も見学することなく次へと向かった。2棟目の評価はまずまずだったが決定力に欠け、最後の物件を見て判断することになった。

私の中では一番推し勧めたい3棟目の物件見学を開始した。2件に比べると駅からの距離はやや遠くなるもののJR山手線が最寄り駅になるポイントは効果絶大で、平均的な間取りや広さと販売価格は掘り出し物と言っても過言ではなかった。そんな好条件に会話も弾みはじめた頃、耳を疑う声が飛び込んできた。

「ここにしましょう!」

それは私がお連れした男性ではなく、先に見学していた他のお客様のものだった。男性の耳にもその声は届いた。“他人が良いと評価したものならば、自分も欲しくなる”そんな心理状況だったのだろう。諦めきれない気持ちを撒き散らすように男性は物件を称賛した。

「もし、よろしければ・・・。」

私は見学している物件の隣で建築中の物件を掌で指し示した。間取りや広さの違いこそあれども同じ売主の多棟物件であり、男性が望む“駐車場付き”で“通勤に便利なJR線の駅近く”に変わりはない。男性の意思は固まり、資金計画の話をするためにお店へ戻ることになった。



お店に戻り資金計画の話を開始すると、男性は上場一流企業に勤務していることが判明した。所有するマンションはすでにローンも完済しており、すんなりと売却の意思を示した。

(これならば、間違いなく住宅ローンは組めるはず・・・)

そう思った矢先に大きな問題点が発覚した。愛車を購入したローンが残っていると男性から聞かされたからだ。

(えっ・・・、このままでは住宅ローンが組めないじゃないか・・・)

私は思わず困惑のあまりそれを表情に出してしまった。このままでは住宅ローンが組めないことを伝え、男性にとって敢えて酷ことを尋ねた。

「愛車を一旦、処分できませんか?それが無理でしたら住宅の方は・・・。」

愛車を売却してマイカーローンを完済したのちに住宅ローンを組む提案を行った。“駐車場代を払うのがもったいない”という相談からはじまったものが、“家を購入する代わりに愛車を手放す”となれば本末転倒だ。男性は、しばらくじっと瞼を閉じて考え込んだ。

「うん、そうですね・・・。わかりました。車、処分しましょう。」

男性にとっては断腸の思いだったはずだ。しかし、その決断を揺らがないものにするため男性はその日に申込書へ、翌日には契約書へサインを入れた。さらにその翌日には、買取ディーラーによって愛車は引き取られていった。



物件の引き渡しを終え、その男性と飲みに行く機会があった。酔いが程よくなった頃、男性はぽつりと言葉を漏らした。

「あの時の表情を見て、あなたなら信じられると思ったんですよ。」

愛車の残債が判明した時の困惑した私の表情だった。売りたいだけの営業マンは数多く見てきたという男性は、困惑しながらも姑息な手段に走らず親身に最善の選択肢を提案してくれたことがとても嬉しかったという。だから愛車を手放してもいいと思えたと言った。

愛車が買取ディーラーのトレーラーに乗せられて去っていく姿を見送る時、こんなことを思ったらしい。

「ドナドナって知ってる?そんな気分だったよ。」

笑いながら話す男性の瞳が薄っすら充血していたのは、お酒に酔っていただけではないと思った。


新たなこと


その後、定例化したお酒を交わしている時だった。

「いやぁ、車買っちゃったよ。今度のはさぁ・・・。」

男性は満面の笑顔になると少年のように瞳を輝かせて新たな愛車について語り出し、私はそんな男性がちょっと羨ましいと思った。

その男性とは、営業とお客様の関係を超越した新たな関係が今も続いている。

2019-03-18 16:11:07
店長のロープレ研修。
その数日後、それが活かされるお客様との出会い。
ちょっとコワモテのお客様と新人営業を見守る店長と新人営業のお話






大学で民法を学び、それを活かそうと思ってハウスプラザに就職した。知識も経験も営業スキルもない私には部活動で培われた洞察力や体力があった。それに気付いたのは、お客様とお会いするようになってすぐだった。

足りないものを補ってくれたのは、店長や先輩だった。店長は自らの時間を削り営業に必要なアポイントの取り方や物件の提案方法などのロールプレイングを定期的に実施してくれた。それらはメリットとデメリットの説明だけでなく店長の経験談はとても勉強になった。

そして、日常業務の中でわからないことを丁寧に教えてくれたのは先輩だった。営業として実績を残しながらも数字では評価されない雑務など店舗全体のことを考えて黙々と働く姿に憧れさえ抱いた。



恵まれた環境で仕事をしている私は、お客様にも恵まれているのかもしれない。現地販売会場にいた私の携帯に店長から電話が入った。

「これからお客様がそっちに行くから。一度、電話してみて。」

指示に従いお客様の連絡先へ電話を入れると、ご自宅へお迎えに上がることになった。インターホンを押し、はーいという声とともに扉が開いた瞬間、私は固まった。運送業で働くご夫婦の出で立ちに圧倒された。とくにご主人は昭和の名優菅原文太さんの若い頃にそっくりで、声を掛けがたい雰囲気を醸し出すコワモテだった。ただ、話してみると明るく気さくで、とても丁寧な言葉を使うご夫婦だった。

「こっちの物件の方に興味あるんですよね。」

お客様から伝えられたそれは、なんと数日前に店長からロールプレイングによる研修を受けていた“借地権付き物件”だった。

「ご存知ですか?」

物件見学へ向かう車中、研修で学んだことをお客様にお伝えしていった。

「毎月地代を地主に払うかわりに、土地にかかる固定資産税はゼロですから。」

借地権付き物件のメリットとデメリットを説明するとお客様は、なるほどと理解を深めていった。

いくつかの物件見学を終えたころには緊張感も薄れ、お客様も新人営業の話に耳を傾けて会話が続くようになっていた。

「話しやすい営業さんでよかったです。」

他の不動産屋の営業とはソリが合わなかったというお客様は、“打ち合わせをするためにお店へ”という私の提案に快く同意した。



お店に到着すると、店長を交えた4人で物件の打ち合わせを行った。絞り込んだ物件は、お客様が最初から気にしていた借地権付き物件だった。

「借地権付きはですね・・・。」

経験豊富な店長の丁寧な説明にお客様は強く関心し、信用の度合いを高めていった。そして、借地権付き物件を購入する場合、住宅ローンが限定されてしまうことをお客様に伝えたのも店長だった。

「ちょっと調べてきてごらん。」

店長に促された私は自分のデスクに戻り、運送業のお客様が借地権付き物件で組める住宅ローンを調べはじめた。近くにいた先輩もいっしょになって探してくれたが、それは見つからなかった。

(住宅ローンが組める銀行がないと知れば、お客様がっかりするだろうなぁ・・・。)

お客様と店長のいるテーブルに戻り、言いにくいことを伝える経験がなかった私が立ったままの姿勢でいると店長から声がかかった。

「今から別の物件を見に行くことになったから準備して。」

広さこそ劣るもののエリア・間取り・価格帯といった条件はお客様の要望にぴったりで、土地の所有権もある通常の物件を私の離席中に店長が提案し、お客様がそれを望んでいた。



日はすっかり落ち、あたりは真っ暗になっていたが、店長とともに案内した物件をお客様はとても気に入り、その日のうちに申し込みを済ませるためにもう一度お店に戻った。

「いい物件に出会えました。」

申し込み書類にサインしたお客様は満足そうに笑みを浮かべた。そして、ふうとひとつ大きく息を吐いて疲労感をあらわにした。それもそのはず、新しい日付を迎えていた。

申し込みを終えたお客様をご自宅に送り届けたあと、お疲れ様でしたと声をかけた私に店長が言葉を返した。

「おつかれ。お前に任せて良かったよ。」

店長の言葉は、心身ともに疲れ切った私にズシリと重く響き、仕事への充足感をより満たしてくれた。


コワモテ夫婦とのその後


引渡し後にお客様の新居へ挨拶で伺ったとき、感謝の言葉をいただいた。

「いい家を紹介してもらいました。本当にありがとうございます。」

不動産の営業マンであればいい物件を紹介するのが当たり前で、諸先輩方は多くのお客様からいただいている言葉かもしれない。しかし、新人営業の私は“感謝されること”がこんなにも嬉しいものだと初めて気付かされたお客様だった。

ちょっとコワモテのご夫婦からは、今もときどき食事のお誘い電話が入る。そんな関係になれたことが嬉しくあったりもする。

2019-03-08 16:36:06
初孫の誕生を控えた熟年夫婦が息子夫婦のために家探し。
しかし、思い通りにいかない理由があった。
“もうひとつの地元”にこだわるお客様と新人営業のお話






熟年のご夫婦が現地販売会にやってきたのは8月のある週末だった。

「川一本向こう側に住んでる息子夫婦にもうすぐ子供が産まれるんだよ。だからさぁ、近くに住んで欲しいんだよ。」

下町口調で明るく話す男性は、平日休みの仕事に就く息子さんに代わってご夫婦で毎週末になると新居探しに励み、当の息子さん夫婦もまた平日休みを利用して新居探しをしているという。

完成物件をご案内している際中、初孫の誕生を心待ちにする熟年ご夫婦はずっと饒舌だった。いくつもの物件を見て回ったというだけあって不動産屋慣れしているのだろう。条件など私が質問したいことのほとんどを自ら口にしてくれた。

「家探しは、あなたにお願いしようと思う。おお、そうしよう!」

男性はそう言うと奥様に私が手渡したアンケート用紙の記入を促し、次回は息子さん夫婦を交えてお話しすることになった。



その翌週末、ご夫婦は休暇を合わせた共働きの息子さん夫婦を伴って4人で来店された。あらためて息子さん夫婦に要望や条件を尋ねると、概ねご両親から聞いていたとおりだったが、“地元”という言葉を何度も繰り返した。

結局ご両親が見学した物件は予算が合わず、別の物件をご案内することになった。それは今からならば間取りなどをほぼフリープランで建築できる物件だった。5区画ある更地の物件を説明し終えモデルルームへ移動すると、息子さん夫婦の購入意欲が高まったのは誰の目にも明らかだった。それまで控えめだった奥様は「いいなぁ!」「ステキ!」「すごい!」を繰り返した。

「一階にリビング!これだけは譲れないからね。」

それが奥様の唯一の希望だった。ご主人は奥様の希望に「わかったよ。わかったよ。」と頷きを繰り返し、そんなふたりの姿をご両親も嬉しそうに眺めていた。

一旦持ち帰らせてくださいという息子さんの言葉で、申し込みには至らなかったものの、ご両親の“近くに住んで欲しい”という願いの実現は“あと一歩”となった。


数日後、ふたたび来店された4名と打ち合わせをしていた時、売主に現況を確認すると5区画のうち候補に挙げていた物件が決まってしまった。その事実を運命と捉え、息子さんが口を開いた。

「やっぱり地元で探したいんですよね。」

息子さんはご両親が住む東京下町で生まれ育ったが、高校へ進学してから多くの時間を過ごし多くの友人知人がいる江戸川を渡った街をあえて地元と言った。そして、そこは高校時代に知り合った奥様にとって紛れもない地元だった。

しかし、自分たちの住む近くに居を構えて欲しかったご両親は簡単には引き下がらない。

「今は若いから地元にこだわるだろうけど、家族ができたら家庭が第一になるんだ。仕事や子育てを考えなさい。こっちの方が通勤も近くて楽だし、何かあったら父さんたちもすぐ動けるだろ。」

下町口調の抜けたお父さんと神妙な面持ちの息子さん。それぞれが抱える強い思いがわかるだけにどうすることもできず、私はただ口を閉ざし見守り続けた。

そんな長く続いた均衡状態を打ち破ったのは、ご両親にとってはお嫁さんである息子さんの奥様だった。

「私は、どこでもいいよ。北の寒いところでも南の島でもついていくよ。」

ご主人が自分に気を使っていると感じた奥様のひと言によって事態は進展した。2番目に候補としていた物件で申込書を作成することとなった。


それから数日後、打ち合わせを終えて談笑していた時だった。

「あと何回会えますかね?」

普段明るいご主人の声色が急に暗くなった。

「内覧会、引き渡し・・・、あと2〜3回くらいですか。寂しくなりますね。」

私の少し感傷的な気持ちを察したのか、いつものような明るく元気なご主人に戻った。

「引き渡しが終わったら、必ず飲みに行きましょう。ご飯も食べに来てください。」

ハウスプラザに転職したばかりの私は、お客様と仕事の枠を超えた関係を望んでいたのかもしれない。それと同時に、どうせ今だけだろうという思いもあった。しかし、そうではなかった。

施工会社とのプランの打ち合わせや施工状況など、週に一度は連絡が入るようになった。そして、決まって最後には“いつ飲みに行きましょうか”だった。奥様はもちろんご主人のご両親も楽しみにしていると聞き、とても嬉しかった。

明るさと元気を取り戻させてくれる家族は、とても大きな存在になった。


もうひとつのお祝い


引き渡しの日が近づいた頃、ご主人から電話が入った。きっと引き渡しに関する問い合わせだろうと思って電話に出たがそうではなかった。

「予定日まであと一週間ほどなんですよ。もうそろそろ産まれそうなんです。家族が増えたらぜひ子供にも会いに来てくださいよ。」

その嬉しそうな声と誘いの言葉を聞いていて私もお祝いをもらったような気持ちになった。

2019-03-01 17:41:23
転勤を機に前期やり残したことに気づいた営業マン。
いつくるか分からない営業のためにあるものを用意していたお客様と新人営業のお話






転職者の私は、新卒入社の営業マンより営業としての成果や実績を強く意識していた。上司や先輩の力添えもあって、新人としてはそれなりの結果を残せた1年目だった。

入社して2年目に初めての転勤が決まり、ひとつだけやり残したことがあった。

初契約から2ヶ月後に届いた問い合わせメールがそのお客様とのはじまり。来店初日に5件の物件を見学し、その日のうちに申し込みをいただくことができた。しかし、お客様の決断を引き出したのは店長の力添えが大きく、新人の私だけではそこにたどり着くことはできなかっただろう。

(このまま何もできなかったら、初契約の時と同じだ・・・。)

そう思った私は、契約・ローン申請・引き渡しなど、わからないことは上司や先輩にアドバイスを仰ぎながらできることを自分ひとりで行い、積極的にお客様の元へ足を運んだ。汗をかき、十分なやりがいと達成感を得られたお客様だった。



「遊びに来てくださいね。」

引き渡しの時に、お客様から声を掛けていただいた。しかし、無事に引き渡しできたことで営業としての役目が終わったと思ってしまった私は、日々の職務に追われ、それを言い訳にして挨拶に行くことを先延ばしにした。

決算期が終わり、私は転勤が決まった。先輩から“期代わり初日に人事が発表される恒例行事”と聞いていたが、いざ自分のこととなると驚きと戸惑いがあった。

「転勤が決まりまして、別の店舗へ移動することになりました。」

電話で転勤の報告を入れると奥様はとても残念そうに声を絞り出した。

「遠くなりますね。大変でしょうけど、頑張ってくださいね。」

その電話を機会に“やり残したことをきちんと片付けよう”と心に誓った。



“転勤直後の今しか時間は作れない!”

そう思い立った私は、先輩でもあり私をハウスプラザへ誘った友人へ“引き渡し後のあいさつ”について電話でアドバイスを求めた。

「オレはお茶菓子と・・・、観葉植物を持って行ってるよ。」

私は電話を切るとすぐに近所の洋菓子屋と花屋に車を走らせ、その足でお客様の家へと向かった。

久しぶりに会うお客様というのは、インターホンのボタンを押すことさえ躊躇させる。インターホンから奥様の「はい」という声が聞こえ、私は背筋をピンと伸ばした。

「突然、すみません。ご挨拶が遅れておりましたハウスプラザの・・・。」

そこまで言いかけた時、奥様は「ちょっと待ってください」とひとこと言うとインターホンを切った。

どんな表情だろうか・・・
なんて挨拶したらいいのか・・・
謝った方がいいだろうか・・・
明るくした方がいいだろうか・・・

そんなことを考えながら奥様を待った。ところが奥様が玄関口に現れるまでには想像するより時間がかかった。自分は招かれざる客では?という疑念が時間の経過とともに強くなっていった。

「すみません。お待たせしました。おひさしぶりですね。」

そう言って小さなお子様を抱きかかえて扉を開けた奥様の表情は、笑顔があふれていた。その笑顔を見た瞬間、不安はすべて吹き飛んだ。

「ご挨拶が遅くなり、本当にすみませんでした。」

引き渡し後の挨拶ができなかったことをずっと心に引っ掛かっていたと素直に詫びて、用意した焼き菓子と幸福の木を手渡した。奥様は挨拶が遅くなったことなど一切気にせず、奥様からは新居での生活や子供の成長などを、私は転勤後などの近況を立ち話で交わした。

その間は10分ほど。あらためてご主人への挨拶に来ることを伝えて帰ろうとした時だった。奥様は玄関の収納ボックスに手を伸ばして何かを取り出した。

「使ってくださいね。」

そう言うと私に小さな長方形の箱と封筒をそっと手渡してくれた。



挨拶を終え、車に戻ると真っ先に封筒を開いた。初めて経験する新居という大きな買い物への不安と親身になる私になんでも相談できたことなど、感謝の言葉が綴られた手紙だった。そして、その手紙の最後に記された日付は、引き渡しを終えた翌週だった。

お客様から心のこもった手紙をいただいたのは初めてで、同時にもっと早く行っておけば・・・という後悔も生まれた。

カバンから取り出した箱の綺麗な包みを開くと、そこには高級ボールペンが収められていた。高級ボールペンを手に取ると、私のイニシャルである“M”と“R”が刻まれていた。

車という密室にひとりでいた私は、誰の目も気にせず、なすがままに感情を昂ぶらせた。


いつかのプレゼント


それは“いつくるか分からない私のために用意していたプレゼント”だった。

お店に戻って最初に報告したのは、先輩である友人だった。

「すごくないっすか!?」

友人は自分のことのように喜んでくれた。それがまた嬉しかった。“営業やってよかった。転職して本当によかった。”と思えた出来事だった。

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